昔のこと(生い立ちの話)
今回は昔のことについて、杏林舍の生い立ちの話をしたいと思います。
さかのぼること明治40年8月、医学書出版の「吐鳳堂(とほうどう)」店主であった田中増蔵が、「自社専属の印刷所ならば、医学書の印刷につき物の様々な条件も自由がきき、また、思い切った贅沢なこともできよう」という思いから自社専属の印刷所を本郷区駒込林町(現:文京区千駄木5丁目)に設立し、『杏林舍』と命名、自家出版物である医学書の印刷を行うようになりました。
以来、他の印刷所に見られない新機軸を次々に打ち出します。
「医学書に不必要な活字の省略」、「新式活字を採用し自家鋳造を行ない、常に新しい活字を使用し印刷の鮮明を計る」、「原稿文字の統一」、「厳重な校正」等、現在の杏林舍へと受け継がれる数々の特色を確立し、広く医学界にその名が高まります。
大正4年11月、創設者の死去により合資会社に改組、昭和3年、当時の滝野川区西ヶ原町773番地(現在の本社)に印刷機5台をもって分工場を設けました。今次大戦の始まる頃は従業員も300名を数え、医学書専門の印刷所として他社を圧していたそうです。
しかし、太平洋戦争とともに、従業員の応召により作業も支障をきたし、各資材も不足がちとなり、昭和20年3月の空襲による本社工場の焼失後、解散の止むなきに至りました。
昭和21年11月、日本医師会様のご好意により日本医師会館地下室の一部を借り受け、『杏林舍印刷所』として再スタートを切ることになりました。
昭和23年6月には、日本医師会館より印刷機を北区西ヶ原(現在の本社)に移し、変則的な作業形態から脱しました。
そして、昭和25年7月、株式会社に改組し、現在へと続く新たな杏林舍『株式会杏林舍』が始まります。
戦前と戦後では経営は違いますが、大先輩方から引き継いで一貫して学術に特化してきた思いは今も続いています。
昭和40年代の杏林舍本社社屋
昭和50年当時の工場の一部
印刷用語の基礎知識?(ゲラの語源の話)
印刷物を制作する際、途中の工程で内容をチェックするために使う紙面見本を
『 ゲラ 』と言います。
シーン1:印刷現場で機械の音で会話がしづらい中で。 ベテラン 「おい、そこの galley 持ってこい!」 新 人 「すみません、聞こえません!」 ベテラン 「 ギャリー 持ってこい!」 新 人 「これですか?」 ベテラン 「そうだ、その ゲャラィ 持ってこい!」 新 人 「 ゲラ お持ちしました!」 ベテラン 「おー、ありがとう!」 新 人 「これ、 ゲラ っていうんだ。。」(←心の声) |
こうして galley が ゲラ になったかどうかは想像の話ですが…
国語辞典を調べてみると、
〔←galley〕(1)活字の組版を入れる木箱。組盆。 (2)〔←ゲラ刷り〕校正刷り。 |
[新明解国語辞典より] |
と書かれています。
昔は、この『 ゲラ(木箱) 』の上に鉛の活字を組んで(並べて)いっていたのです。
逆に『 ゲラ刷り・校正刷り 』は、galley, galley proof, proof, proof copy,proofsheet, draft copy、『 校正する 』は、proof, galley read, proofreadと言います。
もともと、 galley は昔の大型の手こぎ船(ガレー船)なんだそうです。
今の印刷技術より古い時代、鉛の活字を箱に入れて文字を組み、印刷をしていました。その箱が galley に似ていたからだったとか。
それがなまって、仮組の版面にインクをつけて試し刷りした見本を『 ゲラ刷り 』と言うようになり、これが縮んで『 ゲラ 』となったようです。
そうですか、最初はあだ名だったんですね!
そして、あだ名はいつしか正式名称になって、辞書にも載るのですね!!
そんな話は杏林舍内にもありまして…
Mac OS X Serverを導入したときに、そのいでたちがあまりにもバーベキュー用の鉄板に似ていたので、『 BBQ 』と呼ばれています。
そして、それ以降に導入したサーバーは・・・鉄板はもう用意されたので、素材を美味しく料理できるようにと、全てハーブの名前が付けられています。
そう、よりおいしく商品ができあがることを祈って~。
長い間、お疲れさまでした!
杏林舍に44年間務められた妹尾顧問が、8月末に退職されました。
そこで、「退職祝いの会」をマルコポーロ号という船で、東京湾をクルージングしながら行うという、ちょっとおしゃれで素敵な演出となりました。
当日は大勢の社員やその家族が集まり、夜景を楽しみながら、思い出話に花を咲かせ、別れを惜しみました。
コースは汐留からレインボーブリッジをくぐってお台場まで行き、帰りは築地市場を周って汐留に戻るというルートだったのですが、夜景の素晴らしさもさることながら、レインボーブリッジを下からのぞいたり、勝どき橋を横から見たりと、普段では考えられない貴重な体験ができました。
また、それほど大きな船ではないマルコポーロ号の上部デッキは屋根のないオープンスタイルなので、橋の下を通り過ぎる時のドキドキ感は、東京ディズニーランドのジャングルクルーズさながらでした。
妹尾さん、永年の勤務お疲れさまでした。