デザインができるまで
1. ヒアリング・現状分析
2. コンセプトメイク
3. カンプ制作・社内検証
4. 提案
5. 実制作・修正
6. 完成・納品
7. 効果測定
杏林舍 工務部のご紹介
皆様により一層、杏林舍についてご理解頂きたいとの思いから、仕事の内容等を部署ごとにご紹介していくことになりました。
第1回は、印刷会社の基盤とも言える工場を含む“工務部”をご紹介します。
工務部は生産管理課と印刷課から構成されています。
生産管理課
生産管理課ではお客様から営業担当者が頂いた情報を基に、ページ組版、校正、印刷、発送、そして納品の予定を管理しています。
日々刻々と変更する予定を、パズルを組み立てるように調整しています。
印刷課
印刷課は埼玉県川口市に工場があり、1部から数万部までお客様のご要望に沿って幅広い印刷物に対応しています。
雑誌など部数の多いお仕事中心の大きな印刷機、総会のネームカードや少量のチラシを作るオンデマンド印刷機等、印刷機にも様々な種類があります。それらを駆使して、色調検査や汚れのチェック、断裁や折などの加工を経て製本した後、お客様の許へお届けしているのです。
冊数や納期のご相談に応じるのはもちろん、パーソナライズされた付加価値の高い印刷物の作成を通して、営業担当者がお客様から頂いたご要望を形にしています。
何なりとご用命ください!!
入社おめでとうございます
杏林舎にとっても、春は出会いと別れの季節・・・定年退職する方もいれば、新しく入社される方もいらっしゃいます。先日4月1日、杏林舍新入社員の入社式が執り行われました。
入社式直前の会場では続々と参加者が集まり、みな期待に満ちた雰囲気で新入社員の入場を待っています。
あんずも緊張しながらも、わくわくしながら見守っていました。
新しい風が吹き込み、社内が一層リフレッシュされたように感じます。 新入社員のみなさま、これからよろしくお願いします!
川口印刷工場、充実のリニューアル!
芽が出るような暖かい日があったかと思うと、また冬に逆戻りしたような寒い日もあったり不安定な天気が続いていますね。あんずも春服を用意したり、片づけた冬服をまた出したりと、毎朝あわただしくしています。
ともあれ、春となれば新生活がスタートとなる方も多いのではないでしょうか。杏林舍でも工場がリニューアルとなりました。
新たに高性能な印刷機を導入することで、なんと今までの杏林舍の主力機のほぼ2倍近くのスピードでの印刷が可能となりました!
また、従来の印刷機もメンテナンスを行ったことにより1時間あたりの印刷枚数がおよそ1,000枚増えるほどの大幅な性能のアップや、対応できる用紙のバリエーションも拡がっています!
工場のリニューアルに伴い本社にあった大型プリンターを工場へ移設し、替わって本社には小型高性能な新型プリンターを導入しています。特に官製はがきへの印刷については、より高品質なものを製作できるようになり、担当者も意気揚々としています。
印刷事業についても、この春からはできることがどんどん増えていっております。何か印刷でお考えのものがございましたら、どうぞ杏林舍へご相談くださいませ。
昔のこと(生い立ちの話)
今回は昔のことについて、杏林舍の生い立ちの話をしたいと思います。
さかのぼること明治40年8月、医学書出版の「吐鳳堂(とほうどう)」店主であった田中増蔵が、「自社専属の印刷所ならば、医学書の印刷につき物の様々な条件も自由がきき、また、思い切った贅沢なこともできよう」という思いから自社専属の印刷所を本郷区駒込林町(現:文京区千駄木5丁目)に設立し、『杏林舍』と命名、自家出版物である医学書の印刷を行うようになりました。
以来、他の印刷所に見られない新機軸を次々に打ち出します。
「医学書に不必要な活字の省略」、「新式活字を採用し自家鋳造を行ない、常に新しい活字を使用し印刷の鮮明を計る」、「原稿文字の統一」、「厳重な校正」等、現在の杏林舍へと受け継がれる数々の特色を確立し、広く医学界にその名が高まります。
大正4年11月、創設者の死去により合資会社に改組、昭和3年、当時の滝野川区西ヶ原町773番地(現在の本社)に印刷機5台をもって分工場を設けました。今次大戦の始まる頃は従業員も300名を数え、医学書専門の印刷所として他社を圧していたそうです。
しかし、太平洋戦争とともに、従業員の応召により作業も支障をきたし、各資材も不足がちとなり、昭和20年3月の空襲による本社工場の焼失後、解散の止むなきに至りました。
昭和21年11月、日本医師会様のご好意により日本医師会館地下室の一部を借り受け、『杏林舍印刷所』として再スタートを切ることになりました。
昭和23年6月には、日本医師会館より印刷機を北区西ヶ原(現在の本社)に移し、変則的な作業形態から脱しました。
そして、昭和25年7月、株式会社に改組し、現在へと続く新たな杏林舍『株式会杏林舍』が始まります。
戦前と戦後では経営は違いますが、大先輩方から引き継いで一貫して学術に特化してきた思いは今も続いています。
昭和40年代の杏林舍本社社屋
昭和50年当時の工場の一部